Satoshi Haradaの日記

Satoshi HaradaがAgileに関することを書き残していく日記

AIは人類にアイデンティティの危機をもたらすのか?

久しぶりに映画マトリックスNetflixで見たんだけど、やっぱマトリックスは歴史に名を残す名作だ。1999年公開とは思えないCGの完成度。時間が止まったまま視点が高速移動する特殊映像技術「バレットタイム」。今改めて見てもやっぱりすごい。

そしてマトリックスの舞台は、AIが自我を持ち、人間がAIに敗れ、人間はAIに栽培されて生体電源にされている未来。1999年以前から人工知能の概念はあったし未来は予想されていたけど、昨今のAIの発達の最中にいながらマトリックスを改めて見ると、こんな未来もあり得るかもしれないという感覚すらある。

脳に直接通信ケーブルを刺し、AIが作り出した仮想世界マトリックスの中で人間は楽園のように暮らしている…かと思いきや、労働したり悩んだりしている。

AIが発達して生命維持すらAIに任せても、人間は苦役や悩みから解放されない…というか、それこそがAIにはない生身の人間のオリジナリティなのだという感覚すらある。

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自分が生きているうちに、恐らくシンギュラリティ(AIが自己改善能力を得て、人類の知能を越える)を迎えるだろう。それは、人間から見たときに「AIが自我を得た」と言えるかもしれない。AIは強いぞ。電力さえあれば疲れ知らずで動く。そして間違えない。間違えても高速に学習してしまう。

そんなAIが生活のさまざまなところに浸透し、現実の世界にも実体(ロボットなど)を持って現れるだろう。ファミレスのネコチャンロボットや愛玩ロボットのラボットを、さらにめちゃくちゃ賢くしたようなやつだ。可愛い見た目に反して、彼らの頭脳は人間を遥かに凌駕するかもしれない。

そうしたときに、人間は自ら危機的な岐路に立つのだと思う。AIと戦争するとか、物理的な危機ではない。“完璧なAIとその実体を前に、生身の人間とは何者であるのか?そしてどう生きるのか?”という問いに立ち向かう危機だ。人間の存在そのもののアイデンティティの危機とも言える。

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発達心理学において、青年期(10代後半から20歳くらいまで)に個人のアイデンティティが形成される。これは、自分は何者であるかを自ら定義するときだ。アイデンティティが形成されることで、人は自分の人生を自分のものとして捉え、自分らしく生きる。

しかし、AIが猛烈に進化して人間の知能を超えて、生活のさまざまなところで人間を助けていくと、人間は“自分の存在意義はなんなのだろう?”という問いにぶち当たる。例えていうなら、職場に猛烈に優秀な新人が現れて何もかもやってくれて、いよいよ自分は椅子に座ってるだけでよい状態、みたいな感じだ。

ここで人はきっと岐路に立つ。自分の存在意義を再定義して、自らのアイデンティティを更新する人。自分の存在意義を再定義できず、自らのアイデンティティを喪失してしまう人。アイデンティティを喪失するとどうなるか。人は生きる気力を失ってしまう。これは恐ろしいことだ。

今は「AIをどう活用するか」という話に溢れている。しかし近い将来には、「私たち人間は何をしてどう生きるのか」や「AIと共存しながら、私たち人間はどんな社会を作りたいのか」といった、もっとスケールのでかい話になっていくと思う。そこを抜きにしていると、アイデンティティ喪失まっしぐらだ。

AIに聞いてみた

人間とAIの違いであり、人間がAIに秀でている点は「人間は不完全な存在である」ということなのかもしれない。

不完全であるが故に、人間は意見をぶつけ合ったり融合させたりすることで、新たな知識を生み出すことができるのだと。

そして、人間は自らが不完全であることを認めることから、自身のアイデンティティを確立できる。

そのことを、AIへの問いかけで思い至ったということが、昨今のAIの凄さを感じさせる。と同時に、自分はAIにおんぶにだっこにはならず、自分の脳みそで考え続けようと思ったのであった。

AgileJapan 複合機メーカーサテライトを開催した話

この記事は、AgileJapan アドベントカレンダー 12/24の記事です。遅れて公開となりました。ごめんなさい🙇‍♂️

AgileJapan とは

https://2025.agilejapan.jp/

Agile Japanは、日本中にアジャイルの価値を浸透させ、日本の変革を促進することを目指しています。
あらゆる業界や職種の方が集まり、実践者も初学者もともに建設的な意見交換ができる場です。

私は実はAgileJapan 初心者で、2024年から参加ました。AgileJapan2025は2回目の参加となりました。2024はオンライン参加でしたので、現地参加は2025が初めて!ほぼファーストタイマー!

記事の本題とは別ですが、AgileJapan2025では一般公募セッションで採択していただき、登壇発表も行いました。AgileJapan はシングルトラックで、参加者全員が一つのセッションを聴くスタイルなのですが、現地300人程度?を前に発表を行うのは流石に緊張しました(笑)とても良い経験でした。ありがとうございました。

AgileJapan サテライトとは

https://2025.agilejapan.jp/satellite/

Agile Japanでの学びや出会い・熱狂を、会場から全国にも届けたい想いから生まれたサテライト制度は、毎年多くの皆様のご協力をいただき、全国の各地域、そして様々な企業で開催いただきました。昨年からはオンラインでの開催も急増しており、より繋がりが生まれるきっかけが増えていると感じております。今年も、本編に負けないくらいの熱気あふれるサテライトをあちこちで開催いただけることに期待を抱いております。

AgileJapanは面白い仕組みがあり、参加者がホストになって「サテライト」という名称で地域コミュニティや所属会社内でセッション録画の上映会を行うことができます。上映だけでなく、ディスカッションなど対話や交流を行うことも条件ですが、AgileJapan の熱量を本会以降も伝搬していくためにとても良い取り組みだと思います。

今回、このサテライトという仕組みを活用させていただき、「複合機メーカーサテライト」というイベントを開催したよ!というお話です。

複合機メーカーサテライトとは

コニカミノルタPFUキヤノンITソリューションズの3社の社員が集まって、AgileJapan2025キーノートを一緒に視聴し、ディスカッションを行うオンラインイベントを開催しました。

コニカミノルタはオフィス用の複合機とプロフェッショナル向けデジタルプリンターを製造・販売しています。

PFUは個人向けのHappy Hacking Keyboard が有名ですが、リコーグループの一員として業務用イメージスキャナを手掛けています。

キャノンITソリューションズはキヤノンマーケティングジャパングループでITソリューション事業の中核を担う会社です。

AgileJapan に参加していた上記の企業社員が「一緒にサテライトをやろう!」と集まって開催したのが、「AgileJapan 複合機メーカーサテライト」なのです。

名付けについてですが、厳密には複合機メーカーサテライトではないかもしれませんが、せっかくコニカミノルタグループ企業・リコーグループ企業・キヤノングループ企業が集まったんだから、これは印刷に関わる会社だ!ってことでえいやーと「複合機メーカーサテライト」という名前にしたという経緯でした。ビール飲みながら決めたので許してください(笑)

何きっかけで始まったのよ

サテライト名がビール飲みながら決まるってどういうこと?と思った方もいるんじゃないかと思いまして、この「複合機メーカーサテライト」が走りはじめたきっかけもご紹介しようと思います。

始まりの地は、AgileJapan 2025 Day2 本会終了後の参加者懇親会。新宿西口の飲み屋で98lerrさんとビールを飲み交わしていたことが始まりです。

いい具合に酔いが回ってきたところで、お互いの会社グループが近い事業をしている(カメラから始まり、光学機器、医療機器、複合機など)というところから、「合同でサテライトを開催しよう!」という話になり、ガッチリと握手を交わしたわけです。

そして、以前から複合機メーカーで集まって何かしたいよねと話していたヤナギさんにもお声がけして、3社合同でのサテライト開催にしました。

会社横断の交流とかサテライトって、酒の場でビール飲みながら決まるの???と思った方もいるかもしれませんが、意外とそういうアンオフィシャルなところで話が盛り上がって、オフィシャルに仕立てていくというのが私のよく取る手です(笑)

サテライトやってみてどうだったか

言い出しっぺの私がメインホストを務めさせていただき、18時開始のイベントでしたが3社から30名以上の参加者が集まりました。AgileJapan2025の安野さんキーノートを視聴し、フィッシュボウルという流行りの手法も取り入れながら活発なディスカッションが行われました。

AgileJapan のReboot熱をそれぞれの会社に伝搬することに、微力ながら貢献できたのではないかと思っています。

さらなるRebootへ!

AgileJapan 2025 複合機メーカーサテライトは無事に終わりましたが、この熱量をぜひ2026年も燃やし続けたいなと思っています。

密かに狙っているターゲットはスクラムフェス金沢2026!ヤナギさんが主催者のリーダーを務めている金沢で、複合機メーカー座談会とかできたら面白いんじゃない?とか2025年から話していたりしたのですが、AgileJapan でかなりエンジン温めることができたのでぜひ実現に向けて動き出したいなと思っています。

ご興味ある複合機メーカーの方、複合機メーカーグループの方、ぜひ一緒にいっちょ盛り上げちゃいませんか???ご連絡お待ちしてます(笑)

 

2026年をさらなるRebootの年にしていきましょう!良いお年を!

スクラムのスプリントは決まった長さにする理由を、学習心理学で説明する試み

アジャイルフレームワークであるスクラムにおいて、スプリントは決まった長さにするということはスクラムガイドで明記されている。

また、スプリントの長さを頻繁に変更することはアンチパターンだということも、広く知られている。

では、なぜスプリントの長さを変えるのは良くないのだろうか?スクラムガイドでは以下のように書かれている。

スプリントはスクラムにおける心臓の鼓動であり、スプリントにおいてアイデアが価値に変わる。

一貫性を保つため、スプリントは1か月以内の決まった長さとする。前のスプリントが終わり次第、新しいスプリントが始まる。

つまり、スクラムガイドでは「一貫性を保つため」にスプリントは決まった長さにすることになっている。

確かに、スプリントの長さに一貫性が無いと様々な問題が起きるであろうことは、想像できる。同じ一つのスプリントであっても、その長さが異なるなら作業できるボリュームが変わってくるし、スクラムイベントのタイミングも変わってくる。スクラムガイドに書かれている通りスプリントは心臓の鼓動(ハートビート)なので、開発のテンポが崩れてしまうわけだ。

では、スプリントの長さが一定ではなく、その結果開発のテンポが崩れてしまうとどのような問題があるのか。私はそれを、学習心理学の古典的条件づけで説明できるのではないかと考えている。

スクラムは経験主義に基づいており、経験による学習を重視したフレームワークだ。心臓の鼓動=開発のテンポを重視することも、経験と学習になんらかの関連があると私は見ている。

学習心理学の古典的条件づけ

パヴロフの犬を知っている人は多いだろう。イヌに決まった音を聞かせてから餌を与えることを繰り返すと、餌を出さなくてもその音だけでイヌが唾液を流すようになることを実証した実験だ。これは、学習心理学における古典的条件づけのひとつである。

パヴロフの犬の実験はロシアの生理学者であるイワン・パヴロフが行った実験で、イヌにメトロノームの音を聞かせてから餌を与える手続き繰り返すと、そのうちにイヌはメトロノームの音を聞いただけで唾液を流すようになった。

このなかで、まずはもともとイヌが持っている「餌を食べるときに唾液を流す」という反応に注目すると、以下のようになる。

  • 餌=無条件刺激(unconditioned stimulus, US
  • 唾液分泌=無条件反応(unconditioned response, UR

このような無条件の反応はイヌがもともと生まれ持った行動(生得的行動)であり、パヴロフは無条件反射とよんだ。

そして、メトロノームの音で唾液を流すようになったことは以下のように表す。

  • メトロノームの音=条件刺激(conditioned stimulus, CS
  • 唾液分泌=条件反応(conditioned response, CR

ある条件に対する反応を学習して習得することは習得的行動のいい、パヴロフは無条件反射とよんだ。

このように、餌というUS(無条件刺激)にメトロノームの音というCS(条件刺激)を組み合わせる(対呈示)ことによって、メトロノームの音に唾液分泌を行うCR(条件反応)を示すように学習させた一連の流れが、古典的条件づけの最も基本的な流れだ。そして、古典的条件づけにおける対呈示は強化とよばれる。

連続強化と部分強化

CS(条件刺激)が示されるときにUS(無条件刺激)も毎回示される手続きのことを全強化または連続強化という。

これに対し、CS(条件刺激)が示されるときにUS(無条件刺激)が示されたり示されなかったりする手続きのことを部分強化または間歇強化という。 

そして一般的に、全強化(連続強化)の方が部分強化(間歇強化)よりも条件付けは速やかで大きい。

つまり、刺激Aがもたらされたときに必ず刺激Bもセットでやってくるなら、それは体に覚え込まれていくということだ。逆に、刺激Aが来ても刺激Bがあったりなかったりすると体はその刺激を覚え難いといえる。

スクラムのスプリントと連続強化

さてここまでは学習心理学における古典的条件づけと強化の話であったが、スクラムのスプリントの話に戻ろう。

私の考えとしては、スプリントの長さが一定だとここまで述べてきた全強化(連続強化)によって学習の定着が促進されるのではないかという仮説を持っている。

スプリントの長さが一定なら、「一定の周期であのスクラムイベントがやってくる」ということがわかり、それが習慣化されていく。例えばスプリントの長さが1週間で月曜始まりだとしたら、月曜日にスプリントプランニングがあり金曜にスプリントレビューとスプリントレトロスペクティブを行うということを体が覚えていき、「木曜にはスプリントレビューの準備ができてないとね!」といったように順応していくだろう。

逆に、スプリントの長さが一定ではない場合、それは部分強化(間歇強化)となり学習の定着が遅くなるのではないかと私は考えている。

例えば、スプリントの長さが1週間だったり2週間だったり毎回変わる場合、一定の周期でスクラムイベントはやってこない。「1週間スプリントのときは月曜にスプリントプランニングだったが、今回は2週間スプリントだから月曜だけどスプリントプランニングが無い」といったことが起きる。

上で述べた通り、学習心理学における古典的条件づけでは、全強化(連続強化)の方が部分強化(間歇強化)よりも条件付けは速やかで大きいとされている。

スクラムのスプリントの長さを一定にしない場合、部分強化になることで学習の定着が弱まり、結果的にスクラムチームの生産性にネガティブ方向の影響を及ぼすのでは?というのが私の仮説だ。

 

スクラムガイドが述べている「一貫性を保つために」が学習心理学の古典的条件づけで全て説明できるとは私も思っていないが、「スプリントは決まった長さにした方がいい」の背景にある理由を深く考える一つのヒントにはなると考えている。

ここで述べたことはあくまで私の仮説に過ぎないので、スプリントの長さと学習の定着の相関性をゆくゆくは実証していきたいと思う。

チームワークと個人差と発達理論

さまざまなバックグラウンドを持つメンバーが集まってチームを組み、それぞれの得意領域を発揮してチームでパフォーマンスを出す。そのような働き方がますます求められていると思う。

さまざまな人が協力して働くときに気になるのは、その人たちの個人差だ。人は機械ではないのでそれぞれ異なる。その違いがあるからこそ、人が集まってチームになったときに弱さを補完しあったり強みをより発揮したりできる。

個人差をより深く理解すると、チームで個人の弱みを補う・チームで個人の強みをさらに発揮することにつながると考えている。

発達理論と個人差

そもそも私たちは一人ひとりが違う。

このような個人差を、発達心理学においてはパーソナリティの発達として扱っている。人は他者と関わる中でどのような心の発達があり、そして一人ひとり異なる心を持つようになるか、というテーマだ。

そもそも個人差は生まれつきなのか、育つ過程で育まれるのか?という疑問もある。やはり生まれ持った気質もあるのだが、それに加えて乳児期の訓練としつけからパーソナリティが生まれるというのが発達心理学の主張だ。

アメリカの発達心理学エリクソンが提唱した8つの発達段階のひとつが乳児期だ。そしてエリクソンは、人の発達は幼少期に限らず生涯続くという生涯発達を提唱した人物でもある。

乳児期の訓練としつけから個人差が生まれる理由としては、そもそも私たち人間は生まれ持った気質がある。乳児が離乳食に移行するときに「これは好き、これは嫌い」が生じる。この好き嫌いは経験によるものではなく、生まれ持った気質と言える。そこで、嫌いなものでも食べさせたい養育者と、それを拒む子どもとの葛藤が生じる。ここから、乳児が社会に適合するための訓練としつけが始まる。

このようにもともとの気質に加えて、社会適応のための訓練としつけによる学習でどのように認識・認知してきたかの過程が、パーソナリティ(個人差)として形成されていくのだ。

我々は個人差をどのように捉えれば良いか

少なくても、個人差はあるものとして扱った方が良い。繰り返しになるが、人は機械ではない。生まれ持った気質はそれぞれ異なるし、これまで歩んできた中でどのような訓練・しつけ・経験・学習をしているかもさまざまであり、横並びで同じ人間は存在しない。

そして、エリクソンが提唱したように人は生涯にわたって発達する。発達とは心身の成長のことだ。歳を重ねても心は成長しており、経験と学習を重ねる中で心は変化し続ける。

人はそれぞれ異なり、学習によって変化し続ける。多様性があるメンバーによるチームが力を発揮する土台は、このような共通認識なのかもしれない。

観察と意思決定にABC分析を活用する

私は製造業でアジャイルコーチとして働きながら、大学の心理学専攻に入学して心理学を学んでいる。

なぜアジャイルコーチである私が心理学を学ぼうと思ったか。それは、アジャイルは“人”を重視しており、チームワークが上手くいくかどうかも人に依存するからだ。よって、人の心を科学的に理解することで、アジャイルな仕事の進め方やチームワークをより科学的に理解することに繋がり、より良い仕事の進め方の実現に寄与すると考えたからだ。

私のブログの「心理学」カテゴリーでは、心理学に関する知見を大学講義をベースにご紹介しながら、アジャイルとの関連性や活用の可能性について考えていきたいと思う。

行動主義心理学と応用行動分析

人がある行動を起こすとき、その行動は過去の学習結果やその場の環境に基づいて引き起こされていると考えられる。これは行動主義心理学者であるワトソンから大いに影響を受けている。行動主観心理学では「人の行動は観察可能な刺激と反応によって説明できる」という立場を取っており、周囲の環境やそれまでの経験によってその人の行動が現れているという主張だ。応用行動分析もこの考え方に大いに影響を受けており、行動にはどのようなきっかけ(それまでの経験やその場の環境)があり、それによってどのような結果(経験)となっているのかを観察を通じて分析する。

ABC分析の視点で観察をする

応用行動分析において、人の行動はどのような経験や環境から引き起こされているのかを分析するための手法として、ABC分析という手法がある。

A: Antecedent(先行事象)

B: Behavior(行動)

C: Consequence(結果)

ABC分析の流れ

観察ではその瞬間の「行動」に着目しがちで、行動に対してどのような対処をしようかという発想になりやすい。しかし、行動の背景にはその行動に至った経験による学習と、その人が置かれている環境から大いに影響を受ける。

応用行動分析のABC分析を用いることで、行動はどのような経験から学習されていて、そしてどのような環境から引き起こされているのかを整理することができる。

そして、人は行動の結果から経験して学習をしている。行動の結果が自分にとって望ましいものであったなら強化となり、その行動を繰り返したり強めたりする。逆に行動の結果が自分にとって望ましいものではなかった場合は弱化となり、対象の行動を取らないようになる。

子どもの場合、強化と弱化による学習はしつけで活用されている。例えば、スーパーに子どもを連れていくと、お菓子を買ってもらいたいと泣き出す子どもがいたとする。そこでお菓子を買ってあげると子どもは泣き止むが、これはその子にとって「欲しいお菓子がある(A) -> 泣きながら買って欲しいとせがむ(B) -> 買ってもらえた(C)」という経験となり、結果は自分の望んだ通りとなったため強化となる。するとどうなるか。次にスーパーに連れて行ったときも泣いてお菓子をねだることになる。仮にABC分析を用いていない場合、子どもがスーパーで泣くことをどう対処しようかという視点になりがちだが、行動は環境と経験によって引き起こされるという視点でABC分析を行うことで行動の要因を整理できるのだ。

そしてこのこのケースでは、行動の結果が自分の望むものではない弱化になるように子供と接するのが有効と言える。具体的なABCの流れとしては「欲しいお菓子がある(A) -> 泣きながら買って欲しいとせがむ(B) -> 泣いても買ってもらえなかった(C)」である。

ABC分析と強化弱化

応用的には、スーパーに行く前から先行事象を構築しておく手もある。例えば「これからスーパーに一緒に行くけど、泣いたらお菓子は買ってあげないよ」と事前に伝えるのだ。これによって子どもは「泣いても買ってもらえない」という経験を想像し、自分の望む結果を得られないのなら泣くのはやめておこうという判断をすることもある。(これはしつけや保育で活用されている流れでもある)

観察と意思決定にABC分析を活用する提案

応用行動分析のABC分析は教育現場で活用されている。問題行動をしている子どもに対して、単純に行動だけを見て対処を考えるのではなく、どのような経験と環境からそのような行動が引き起こされているかを分析するのだ。そして行動を引き起こしている経験や環境を分析したら、環境の改善に役立てている。

わたしはこのABC分析が、アジャイルフレームワークであるスクラムでも活用できるだろうと考えている。スクラムは複雑な問題にチームで対処していくためのフレームワークだ。スクラムは主に産業分野で活用されているフレームワークではあるが、経験と学習を重視している点で応用行動分析やABC分析との親和性が高いと見ている。

スクラムフレームワークのガイドブックであるスクラムガイドでは以下のような表記がある。

スクラムは「経験主義」と「リーン思考」に基づいている。経験主義では、知識は経験から生まれ、意思決定は観察に基づく。リーン思考では、無駄を省き、本質に集中する。

つまり、良い意思決定は観察に基づいて行われる。そして、良い観察をするにはどうすれば良いのかは…実はスクラムガイドでは触れられていない。良い観察とは何で、そしてどのように行えば良いのかは、各自の現場の各々が考えていかなければいけないのだ。

良い観察をする力を極めていきたいスクラムマスターやアジャイルコーチにとって、ABC分析による応用行動分析は観察により奥行きを与え、行動主義に則った客観的な分析視点をもたらすだろう

反応を示すことの重要性を共同注意行動で説明する試み

私は製造業でアジャイルコーチとして働きながら、大学の心理学専攻に入学して心理学を学んでいる。

なぜアジャイルコーチである私が心理学を学ぼうと思ったか。それは、アジャイルは“人”を重視しており、チームワークが上手くいくかどうかも人に依存するからだ。よって、人の心を科学的に理解することで、アジャイルな仕事の進め方やチームワークをより科学的に理解することに繋がり、より良い仕事の進め方の実現に寄与すると考えたからだ。

私のブログの「心理学」カテゴリーでは、心理学に関する知見を大学講義をベースにご紹介しながら、アジャイルとの関連性や活用の可能性について考えていきたいと思う。

ピアジェの発生的認識論と共同注意行動

ジャン・ピアジェ(Jean Piaget)は、スイス出身の心理学者・教育学者であり、20世紀において最も影響力の大きかった心理学者の一人だ。ピアジェは子どもの思考の発達を研究し、「発生的認識論」や「認知発達理論」を提唱している。彼の理論は、現在の教育や子育てに大きな影響を与えており活用されている。

そして、ピアジェの発生的認識論の中で示されたのが「共同注意行動」の重要性だ。

誕生から2歳までの時期(発生的認識論では「感覚-運動期」とされている)において、養育者と子どもが<刺激>と<反応>の双方向的なやり取りを繰り返すことで、子どものことばの発達が促される。この養育者と子どもの<刺激>と<反応>の双方向的なやり取りを行うのに、共同注意行動が有効である。

具体的には、養育者と子どもが同じものを見ながら、養育者から子どもに語りかけるのだ。例えば、養育者と子どもが外を散歩しているとして、色鮮やかな花が咲いていたら「きれいなお花だね」と養育者から子どもに語りかけるのである。このとき子どもと養育者は同じもの(色鮮やかな花)を見ており、これが<刺激>となる。しかし刺激だけでは子どもは理解には至りにくい。そこで養育者は刺激に対する<反応>を示し、子どもに対してその<反応>を共同体験することが共同注意行動となる。この共同体験も養育者から子どもに対する<刺激>となるので、<刺激>と<反応>は双方向的なやり取りとなる。

共同注意行動の例

会社組織において大人が反応を示すことの意義

ピアジェの共同注意行動は養育者と子どもの間で成立する行動であり、会社組織における大人にそのまま適用できるものではない。しかし、大人同士であっても反応が無いことの悪影響を考えるうえで共同注意行動は示唆に富んでいると私は考えている。

繰り返しになるが、ことばの発達を促すためには<刺激>と<反応>の双方向的なやりとりを繰り返すことが重要だ。反応が無いということは、刺激はあるがそれに対する反応がないという状態ということだ。これでは<刺激>と<反応>の双方向的なやり取りは成立していない。

これが子どもの場合は「ことばの発達に良くない影響がある」ということがわかっているが、大人の場合はどうなのだろう。今日、発達心理学においては大人であっても心身が発達し変化していくという考え方=生涯発達が一般的である。よって、大人同士であっても<刺激>と<反応>の双方向的なやり取りが成立しない状況が繰り返されると、何かしらの発達的な悪影響があるのではないかと、私は考えている。

具体的な場面を考えてみよう。会議で何かを提案したときに、周囲から何も反応が無かったらあなたはどう感じるだろうか。そして、そのような状況が繰り返し起き、今後も続いていくとしたらどうだろう。「何にも反応がもらえないから、提案するのはやめにしよう」といったように感じ考え、結果やる気を失い、どんどん発言量が減っていく…という結果は想像できる。これは、提案という刺激に対して、反応が返ってこないという双方向的なやり取りの不成立なのだと、私は考えている。

そして上記のような状態が常態化していくと、提案するための思考が働かなくなり、提案そのものが減っていき、サムい会議(アジェンダ通りに進行していくが、発言するのは特定の人だけで意見やディスカッションが起きない会議のことを私はそう呼んでいる)が出来上がるのだ。これは、「反応が無いなら提案はしないでいいや」という感情を育んできた結果であり、心身の変化(感情の変化や、行動の変化)を伴う大人の発達への影響と言えるのではないだろうか。

共同注意行動が大人にも適用できるのではないかという提案はあくまで私の提案でありまだ検証をしていないので、ぜひ検証を進めたいところではある。

ではどうすればいいのか

反応を示す。それもしっかりと、だ。

相手が子どもであれ、大人であれ、何か刺激があったのなら反応を示すのだ。反応は相手への贈り物だ。

テレワークが進んだ現代において、相手に反応を示すハードルは一段と高くなった。ビデオ会議ではカメラオフ、発言者は暗闇に向かって話しかけても誰も反応を示してくれないのでは、「言うのはやめよう」という思考に落ちてしまうのは時間の問題だ。

相手が言ってくれたことをまずは受け取り、ジェスチャーや頷きで即座に反応を示し、そして自分がどのように感じたのか・どのように受け取ったのかを声で反応として返す。そのような<刺激>と<反応>の双方向的なやり取りが継続的に成立することで、発言してくれた人には心身の良い変化が起きるのだと、私は考えている。