私は心理学専攻の社会人大学生です。
臨床心理学の指定テキストである『自分のこころからよむ臨床心理学入門』という書籍が大変興味深い内容なので、ブログに読書メモとして残していこうと思います。ご興味持っていただけた方は、ぜひ書籍を読んでいただけたらと思います。
今回は第2章「対人不安」の読書メモです。
2.対人不安
対人不安とは?
不安は誰もが経験するのだが、その中でも人との関係についての不安を「対人不安」と呼ぶ。
毛利が作成した「対人恐怖症状尺度」によると、以下のような恐怖がある。(書籍では対人不安度を計るテストもあるので、ご興味ある方は書籍を参照してください)
- 他者視線恐怖: 他人からの視線が気になってしまい、恥ずかしく感じたり、緊張すること
- 赤面恐怖:人前に出ると自分の顔が赤くなってしまうことを気にすること
- 表情恐怖: 人と話しているときに、自分の表情がこわばって不自然な表情になることを気にすること
- 自己視線恐怖: 自分の視線が鋭いのではないか、目つきが悪いのではないかと気にすること
- 自己臭恐怖: 自分の臭いによって、相手に迷惑をかけているのではないかと気にすること
広義の対人不安と狭義の対人不安
対人不安には、弱いものから強いものまで、さまざまな態度がある。大きく以下の3つで、狭義の対人不安→対人恐怖→思春期妄想症の順に症状は重くなる。
- 狭義の対人不安: 対人緊張、あがり(シャイネス)、人見知り
- 対人恐怖: 対人不安よりも悩みの程度が強まり、生活に支障が出るようになったものを対人恐怖と呼ぶ。他者視線恐怖、赤面恐怖、表情恐怖、自己視線恐怖、社会恐怖が該当
- 思春期妄想症: 対人恐怖よりも重い症状を思春期妄想症または重症対人恐怖症と呼ぶ。自己視線恐怖、自己臭恐怖、醜貌恐怖(自分の顔が醜いと固く信じ込み、そのために人から嫌われていると悩む)が該当
DSM-IVにおける社会恐怖の扱い
DSM-IVとは、アメリカ精神医学会が作成した「精神疾患の診断・統計マニュアル」のことで、Diagnostic and Statistical Manual for Mental Disorders の略語である。
DSMは診断基準であり、うつ病や不安障害などさまざまな心理的問題を体系的に分類し、客観的に定義をしたものだ。このような診断基準が整備されたのは比較的最近のことで、それまでは医師が自分なりの基準で精神科の病名をもとに診断していた。しかしそれだと、ある医者からは統合失調症と診断されたのに、別の医者からはうつ病と診断されるようなことがよく起きてしまっていた。そのような状態を受けて、WHOやアメリカ精神医学会では診断基準の統一を図るようになり、DSMが作られることになる。
対人恐怖の一つである社会恐怖も、DSM-IVに診断基準が定義されている。
対人不安に悩む人はどれくらいいるか
15歳においては50%くらい、18歳においては30%以上の人が他者視線恐怖の傾向を持っている。日本では対人恐怖傾向を持つ人はかなり多いのではないかと考えられる。
また、DSM-IVによると、疫学調査では社会恐怖の生涯有病率は3〜13%という結果が得られている。
どうして対人不安はおきるのか
対人不安がおこるしくみは、バスの対人不安理論で説明する。
バスによれば、対人不安がおきるのは人から見られる自己を過剰に意識し、その場を離れたい・人目を避けたいという動機が生じるためだという。
そして、自己意識には公的自己意識と私的自己意識がある。
- 公的自己意識: この自己意識が高い人は、外出する前に自分の身だしなみを念入りにチェックしたり、自分の容姿に気を配ったり、人前での振る舞いに注意を払っていることが多い
- 私的自己意識: この自己意識が高い人は、自分がどんな人間であるか理解しようと努めたり、自分を反省してみたりすることが多い
対人不安が生じるときには、公的自己意識の高まりに加えて、不安・不快などの感情や、その場から逃げたい、他者の視線から逃れたいという動機や行動が生じている。
対人不安にはどのようなものがあるか
バスは、対人不安を4に分類した。
- 当惑(embarrassment): 場そぐわない格好や振る舞いをしたり、人前でうまく行動できなかったりして、赤面や照れ笑いなどの反応をすること
- 恥(shame): うまくやろうと思ったけれども失敗したり負けたりした場合、自分や周囲の人をがっかりさせてしまった場合、さらには非道徳な行動をした場合に生じる
- 観衆不安(audience anxiety): 人前でスピーチやパフォーマンスをするときに生じる。緊張、心配、パニック、混乱などの感情が生じ、表情がこわばり、視線が定まらず、顔面蒼白、身震い、声の震え、スピーチ内容を忘れるなど行動がうまく取れなくなる。汗をかく、呼吸が速くなる、血圧が上がる、心臓がドキドキするなど、交感神経系が働いた生理的変化が生じる
- シャイネス(shyness): 目立つことや経験したことのない場面で生じる。視線を合わせなくなり、他の人から離れようとするなど、コミュニケーションをとろうとしなくなる
日本においては、バスのいう当惑(embarrassment)は「恥」や「照れ」に相当し、バスのいう恥(shame)は「失望」や「深い後悔」に当たると、この者先の著者は述べている。(英語の直訳だと、日本語の意味合いにズレがあるためだと思われる)
対人不安を生じさせるもの
対人不安の原因は大きくふたつあり、「対人場面の特徴」と「他者の行動」。
対人不安がおきやすい対人場面の特徴としては以下のとおり。
- 集団の大きさ: ふたりきりで話すような場面では対人不安はおきにくく、大勢の前で話すときは対人不安がおきやすい
- 注視される量: 1対1で話すような場面では視線が一方に偏ることがないので対人不安はおきにくく、壇上から話すような場面では視線を一身に浴びるので対人不安がおきやすい
- その場の人物の熟知度: よく知っている人なら対人不安はおきにくく、知らない人と話す際は対人不安がおきやすい
- 場の公式さ: 家族や友人と話すようなインフォーマルな場では対人不安はおきにくく、結婚式など場がフォーマルな場合は対人不安がおきやすい
- 評価の程度: 他者から評価されるような場面(たとえば、お見合いなど)では対人不安がおきやすい
対人不安の自己呈示理論
シュレンカーとリアリィは、対人不安の自己呈示理論を提唱した。この理論では、他者に特別な印象を与えたいと思っているが、それができるかどうか疑わしく、自分の印象に関連した不満足な対応を他者から受ける可能性があると予想したときに、対人不安が生じるとされている。
たとえば、新商品の社内プレゼンテーションの場で最高の発表をしたいと思っているが、そのような発表ができるかどうか自信がなく、発表が上手くいかないと自分の社内での評価も落ちてしまう可能性がある…といった場面では対人不安が生じる、ということだ。
そしてシュレンカーとリアリティによれば、対人不安が生じるためにはまず、自己についてのある印象を他者に与えたいと願っている必要がある。つまり、対人不安が生じるときは自己を他者に呈示したいという動機があるということだ。
自己呈示の動機づけを高める要因
対人不安が生じるときには、自己を他者に呈示したいという動機があるわけなのだが、そのような自己呈示の動機づけを高める要因には以下のようなものがある。
- 公的自己への注目(公的自覚状態): 観衆や自分を評価する人などがその場にいて、自分のふるまいや外見などの公的自己へ注意が向けられている状況
- 期待した結果の価値: 他者から評価や他者の反応が、自分にとって重要な意味を持つ場合
- 印象を与えたいと思う他者の特徴: 権威がある人、専門家、地位の高い人、異性の仲間、身体的に魅力のある人、社会的影響力が大きい人
- 評価的な状況: 人から評価を受ける場面、または評価を受けるだろうと予想される場面
- 中心的な自己概念への呈示: 「自分はこうなりたい」という自己概念を印象付けられそうな場面(たとえば、プレゼンテーションを見事に成功させる自分でありたいという自己概念があり、まさに今プレゼンの場でそれが試されようとしている場面)
- 共存他者の数: その場にいる他者の数が多いほど、自己呈示の動機づけは高まる
- 承認欲求: 人から認めてもらいたいと普段から思っている人ほど、自己呈示の動機づけは高まる
- ネガティブな評価への恐れ: ネガティブな評価を恐れる人ほど、自己呈示の動機づけは高まる
主観的確率
対人不安が高まる第2の条件として、主観的確率というものがある。主観的確率とは、演じたい自分を上手く演じることができるかどうか(自己呈示を思っていた通りに上手くできるかどうか)を、自分自身の主観でどれくらい信じることができているかということだ。
そのためにはまず、どのような自分を演じれば良いか(どのような印象が望ましいか)がわかっている必要がある。これがわかっていない状況では、どのような行動をとるべきかわからず、主観的確率は低くなる(つまり、演じたい自分を上手く演じられなくなる)。
また、望ましい印象がわかっていても、今の自分では到底そのような印象は作り出せないと考える場合も、主観的確率は低くなる。
日本とアメリカの対人不安の違い
笠原は青年期という本の中で、対人恐怖の人は「半知り」の人を苦手とすると述べている。「半知り」という言葉は聞きなれない言葉だが、これは実際に対人恐怖の青年が使った言葉だそうだ。
半知りとはつまり、親や兄弟といった親しい人と、顔も名前も知らない他人の、中間の位置付けの人のことです。親や兄弟といった親しい人の前では恐怖はなく、また街中の群衆のような見ず知らずの人たちの中にいても恐怖は感じない。一番苦手なのはその中間の「半知り」の人たちなのだという。笠原の書籍によると、
- 顔は知ってるのに名前は知らない人が特に苦手
- 初対面のときはまだよいが、2回目からはダメ
- 何回も会って親友になってしまえば恐怖なくなる
- 子どもや老人など年が離れていれば平気だが、同年齢の人が苦手
- 2人ならよいが、3人でいると不安になりやすい
- 特定の話題が決まっている場面はよいが、なんとなく雑談する状況は苦手
という特徴が日本の対人不安にはあると論じられている。
このように日本の対人不安の特徴は、アメリカの対人不安を研究したバスの理論とは異なる点がいくつかある。
アメリカの対人不安はバスによると「公式な場面」で「知らない人」が「大勢」いて「評価される」と対人不安を生じさせるとされるが、日本の対人不安は笠原によると「非公式な雑談のような場面」で「少し知っている人」が「3人でいるとき」に対人不安を生じさせる。
日本とアメリカの対人不安の違いが起きる理由は、書籍の中では明示されていない。
だがこれは、アメリカと日本の文化的違いから来ているのかも知らない。アメリカでは大勢の前で自分の意見や主張をプレゼンテーションする機会が多く、そのような場面で特に対人不安を感じやすいということなのかもしれない。
それに対して、日本人がそのようなプレゼンテーションの場面で対人不安を感じにくい、とは言い切れないだろう。それよりも、日本では大勢の前で自分の意見や主張をプレゼンテーションする機会がアメリカよりも少なく(笠原の書籍「青年期」は1977年の出版なので、現在よりもさらにその機会は少なかったのかもしれない)、それよりも3人程度の小グループで「仲間外れになりたくない」という不安感や劣等感から対人不安を感じやすいのかもしれない。
対人恐怖の人はどのようなことに悩んでいるか
対人恐怖の人はどのようなことに悩んでいるのかを調べた永井によると、対人恐怖の人には以下のような悩みがある。
対人場面の行動不調=人とうまく付き合えない悩み
- 他者とうちとけられない: 対人関係がぎこちない、仲間の中に溶け込めない、人が大勢いるとうまく会話に入っていけない
- 対人恐怖が強い: 人前に出ると緊張する、おどおどしてしまう
- 視線がうまく使えない: 人と目が合わせられない、人と話をするときに目線をどこに持っていけばよいのかわからない
関係的自己意識=人から自分がどう思われているか不安という悩み
- 人からの評価が気になる: 周囲の人たちから、自分がどう思われているのかが気になり不安になる
- 加害的な悩み: 自分が相手に嫌な思いをさせてしまっていると思ってしまう(自分のせいで話がつまらないと思わせているかもしれない、自分の発言が場をしらけさせているかもしれない、など)
- 被害的な悩み: 自分のことをみんなが避けているかもしれない、自分の弱点や欠点をみんなが知っているのかもしれないと思ってしまう
内省的自己意識=自分はダメだと思ってしまう悩み
- 自己の不安定さと劣等感: 気持ちが安定しておらず、何をするにも自信がなく自分だけが取り残されたような気持ちになる
- 自己のコントロールの弱さ: 物事に集中できず、何事も長続きしないという悩み
対人恐怖の悩みを見てもらうとわかるが、多くの人が一度は感じたことのあるものばかりといえる。その強弱には個人差があるが、このような悩みは誰にでもあるものだろう。
こうした悩みは、対人関係を良くしていくためには必要なものともいえる。逆に、このような悩みを全く持たない人は、対人関係を向上させる意欲がない人であるといえるかもしれないと、著者は述べている。
森田療法
対人恐怖の症状について、ごく自然なものであると受け入れてしまえばそれで悩むことはない。しかし、表情や視線にこだわり、それらを自然なものであると受け入れられず、そういった症状をなくそうと悪戦苦闘してしまうのが対人恐怖。
症状を消すことに着目するのではなく、症状によって対人関係が上手くいっていないことを解消しようというアプローチが森田療法。日本の精神医学者である森田正馬が発案した独自の療法で、森田は表情や視線への不自然なこだわりをなくしていくのが大切だと考えた。
対人不安、対人恐怖、思春期妄想症、統合失調症の比較
対人不安から対人恐怖
対人不安に対して、対人恐怖は苦痛の程度が高い。また、対人恐怖は症状そのものへのこだわりが強くなる(症状を受け入れようとせず、こだわってしまい、それらをなくそうと悪戦苦闘してしまう)。
対人恐怖から思春期妄想症
対人恐怖に対して、思春期妄想症は妄想的傾向が強まる(客観的に見れば誤った信念だが、本人はそのことを強く確信し、まわりの人がいくら説得してもそれを訂正することができない状態)。また加害性(自分が相手に不快感を与えている、自分が周りに迷惑をかけているという確信)が付加される。
思春期妄想症から統合失調症
統合失調症には自我障害という現象が現れる。自我障害とは、自分の考えが他の人に知られてしまうと感じたり(自我漏洩感)、自分の考えが誰かに操られたりすると感じられたり、他人の考えていることが直接自分の中に入ってくるかのように感じられること(思考吸入)。
また、思春期妄想症は対人場面に限定されていたのに対し、統合失調症は対人場面に限らず人と一緒にいない状態でも強い確信を持ち続け、不安を感じ続ける。
どのような人が対人恐怖になりやすいか
対人恐怖の人の性格特徴を調べたところ、相矛盾する性格を持つことが特徴であるとされている。
- 人に好かれたいが、負けず嫌いで他者を優越したい
- 外面はおとなしいが、内心は負けず嫌い
- 小心さと傲慢
- 弱気と強気
- 甘えたいが甘えたくない
- 嫌われたくない欲求と負けたくない欲求
対人恐怖の人には、強気な側面がある。自分をよく見せたい、人に負けたくないといった強気な側面。シュレンカーとリアティの理論においても、対人不安の根底には自分をよく見せたい、自尊心を高めたい、自分の社会的存在価値を高めたいという欲求があるとされている。これら欲求がかなえられないから不安になるのだと。
対人恐怖と家庭環境を調べた研究もあり、それによると対人恐怖の人は愛情としつけがしっかりとした家庭で育った人が多い。よい子意識、負けず嫌い、自尊心などが育まれ、それが対人恐怖と関連してくるのではないかと、書籍の著者は指摘している。
また対人恐怖になりやすいかどうかはその国の文化による差の影響が大きく、アメリカ人と比較して日本人は対人恐怖になりやすいという小川らの研究がある。
対人不安とどのように付き合えばよいか
時が解決してくれる
他者視線恐怖傾向は15〜17歳がピークで、20代の後半には10%台にまで下がる。なぜ成長とともに対人不安がなくなっていくのかはまだわかっていないが、時が解決してくれると思うだけでも違ってくるだろう。
対人不安は良好な人間関係を構築する上で必要
日本の文化は、まわりの人に気を遣い、周囲との協調を尊重し、仲間はずれにならないことが大切という考えが強い。これらの気遣いを相手を尊重しながら行うには、多少の対人不安を持っていた方が円滑に行うことができると、書籍著者は述べている。
対人不安の自分をありのままに受け入れる
対人不安の人は完璧主義の一面があり、自分をよく見せたい、完璧な自分でありたい、そして周囲に負けたくないという欲求がある。しかしそれだと、理想と現実の差にでより不安を深めてしまう。なので、現実を、自分を、ありのままに受け入れてしまってはどうかというのが書籍著者の主張である。森田療法においても、自分の現実をあるがまま受け入れていく態度を体得することを目標の一つとしている。
Satoshi Haradaの感想
対人不安のことをまとめている中で、これに該当するアニメの登場人物がおぼろげながら浮かんできました。ぼっちざろっくの主人公、ぼっちちゃん。
アニメぼっちざろっくを履修済みの方はぼっちゃんの人前での挙動不審や緊張を見ていて、わかるーといった感じに悶えたのではないでしょうか(未履修の方はぜひ作品を見ましょう)。
ぼっちちゃんは極度の対人不安で、知らない人どころかバンドを組んだ友人に対してもちょっと上手く話せずモジモジしてます。ですが、家族(お父さん、お母さん、妹)とは普通に会話できているようです。
また、たくさんの人の前で一言求められると頭の中がぐるぐる回ってステージからダイブしてしまうこともありますが、どうやら少人数話すことも苦手なようです。このあたり、日本人の対人不安の特徴をよくとらえてるなって思います。
そして、対人不安になりやすい人の特徴がこの本では紹介されていましたが、第一話のぼっちゃんの中学生〜高校入学まで回想を見るに、大変よく当てはまってるなと思うのです。
対人恐怖の人の性格特徴を調べたところ、相矛盾する性格を持つことが特徴であるとされている。
- 人に好かれたいが、負けず嫌いで他者を優越したい
- 外面はおとなしいが、内心は負けず嫌い
- 小心さと傲慢
- 弱気と強気
- 甘えたいが甘えたくない
- 嫌われたくない欲求と負けたくない欲求
対人恐怖の人には、強気な側面がある。自分をよく見せたい、人に負けたくないといった強気な側面。シュレンカーとリアティの理論においても、対人不安の根底には自分をよく見せたい、自尊心を高めたい、自分の社会的存在価値を高めたいという欲求があるとされている。これら欲求がかなえられないから不安になるのだと。
ぼっちゃんはみんなからギターの腕や音楽の趣味を認めてもらい、チヤホヤされたい。そして、ライブハウスでの初演奏のときに見せた「こんなところで終わりにしたくない」というガッツ。間違いなく負けず嫌いですね。
さて、対人不安の極致のようなぼっちゃんですが、いろいろと事件を起こしつつもバンド仲間の友人と話せるようになり、バイト先の人たちやバンドの先輩とも話せるようになっていきます。これは、周囲の人の理解や支援があったという面ももちろんあるのですが、環境が変わりつつその場にできる範囲で適応し続けていたら対人不安は少しだけ良くなったということなんじゃないかなと私は思うのです。
対人不安は無理に直す必要はない。周囲も、その人のことを特別扱いせず接する。対人不安で上手くいかないこともあるけど、自分のできる範囲で人と接し続ける。そうしているうちに、時が解決する。そういうことなんじゃないかなって、私は思いました。




