久しぶりに映画マトリックスをNetflixで見たんだけど、やっぱマトリックスは歴史に名を残す名作だ。1999年公開とは思えないCGの完成度。時間が止まったまま視点が高速移動する特殊映像技術「バレットタイム」。今改めて見てもやっぱりすごい。
そしてマトリックスの舞台は、AIが自我を持ち、人間がAIに敗れ、人間はAIに栽培されて生体電源にされている未来。1999年以前から人工知能の概念はあったし未来は予想されていたけど、昨今のAIの発達の最中にいながらマトリックスを改めて見ると、こんな未来もあり得るかもしれないという感覚すらある。
脳に直接通信ケーブルを刺し、AIが作り出した仮想世界マトリックスの中で人間は楽園のように暮らしている…かと思いきや、労働したり悩んだりしている。
AIが発達して生命維持すらAIに任せても、人間は苦役や悩みから解放されない…というか、それこそがAIにはない生身の人間のオリジナリティなのだという感覚すらある。
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自分が生きているうちに、恐らくシンギュラリティ(AIが自己改善能力を得て、人類の知能を越える)を迎えるだろう。それは、人間から見たときに「AIが自我を得た」と言えるかもしれない。AIは強いぞ。電力さえあれば疲れ知らずで動く。そして間違えない。間違えても高速に学習してしまう。
そんなAIが生活のさまざまなところに浸透し、現実の世界にも実体(ロボットなど)を持って現れるだろう。ファミレスのネコチャンロボットや愛玩ロボットのラボットを、さらにめちゃくちゃ賢くしたようなやつだ。可愛い見た目に反して、彼らの頭脳は人間を遥かに凌駕するかもしれない。
そうしたときに、人間は自ら危機的な岐路に立つのだと思う。AIと戦争するとか、物理的な危機ではない。“完璧なAIとその実体を前に、生身の人間とは何者であるのか?そしてどう生きるのか?”という問いに立ち向かう危機だ。人間の存在そのもののアイデンティティの危機とも言える。
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発達心理学において、青年期(10代後半から20歳くらいまで)に個人のアイデンティティが形成される。これは、自分は何者であるかを自ら定義するときだ。アイデンティティが形成されることで、人は自分の人生を自分のものとして捉え、自分らしく生きる。
しかし、AIが猛烈に進化して人間の知能を超えて、生活のさまざまなところで人間を助けていくと、人間は“自分の存在意義はなんなのだろう?”という問いにぶち当たる。例えていうなら、職場に猛烈に優秀な新人が現れて何もかもやってくれて、いよいよ自分は椅子に座ってるだけでよい状態、みたいな感じだ。
ここで人はきっと岐路に立つ。自分の存在意義を再定義して、自らのアイデンティティを更新する人。自分の存在意義を再定義できず、自らのアイデンティティを喪失してしまう人。アイデンティティを喪失するとどうなるか。人は生きる気力を失ってしまう。これは恐ろしいことだ。
今は「AIをどう活用するか」という話に溢れている。しかし近い将来には、「私たち人間は何をしてどう生きるのか」や「AIと共存しながら、私たち人間はどんな社会を作りたいのか」といった、もっとスケールのでかい話になっていくと思う。そこを抜きにしていると、アイデンティティ喪失まっしぐらだ。
AIに聞いてみた




人間とAIの違いであり、人間がAIに秀でている点は「人間は不完全な存在である」ということなのかもしれない。
不完全であるが故に、人間は意見をぶつけ合ったり融合させたりすることで、新たな知識を生み出すことができるのだと。
そして、人間は自らが不完全であることを認めることから、自身のアイデンティティを確立できる。
そのことを、AIへの問いかけで思い至ったということが、昨今のAIの凄さを感じさせる。と同時に、自分はAIにおんぶにだっこにはならず、自分の脳みそで考え続けようと思ったのであった。



