Satoshi Haradaの日記

Satoshi HaradaがAgileに関することを書き残していく日記

反応を示すことの重要性を共同注意行動で説明する試み

私は製造業でアジャイルコーチとして働きながら、大学の心理学専攻に入学して心理学を学んでいる。

なぜアジャイルコーチである私が心理学を学ぼうと思ったか。それは、アジャイルは“人”を重視しており、チームワークが上手くいくかどうかも人に依存するからだ。よって、人の心を科学的に理解することで、アジャイルな仕事の進め方やチームワークをより科学的に理解することに繋がり、より良い仕事の進め方の実現に寄与すると考えたからだ。

私のブログの「心理学」カテゴリーでは、心理学に関する知見を大学講義をベースにご紹介しながら、アジャイルとの関連性や活用の可能性について考えていきたいと思う。

ピアジェの発生的認識論と共同注意行動

ジャン・ピアジェ(Jean Piaget)は、スイス出身の心理学者・教育学者であり、20世紀において最も影響力の大きかった心理学者の一人だ。ピアジェは子どもの思考の発達を研究し、「発生的認識論」や「認知発達理論」を提唱している。彼の理論は、現在の教育や子育てに大きな影響を与えており活用されている。

そして、ピアジェの発生的認識論の中で示されたのが「共同注意行動」の重要性だ。

誕生から2歳までの時期(発生的認識論では「感覚-運動期」とされている)において、養育者と子どもが<刺激>と<反応>の双方向的なやり取りを繰り返すことで、子どものことばの発達が促される。この養育者と子どもの<刺激>と<反応>の双方向的なやり取りを行うのに、共同注意行動が有効である。

具体的には、養育者と子どもが同じものを見ながら、養育者から子どもに語りかけるのだ。例えば、養育者と子どもが外を散歩しているとして、色鮮やかな花が咲いていたら「きれいなお花だね」と養育者から子どもに語りかけるのである。このとき子どもと養育者は同じもの(色鮮やかな花)を見ており、これが<刺激>となる。しかし刺激だけでは子どもは理解には至りにくい。そこで養育者は刺激に対する<反応>を示し、子どもに対してその<反応>を共同体験することが共同注意行動となる。この共同体験も養育者から子どもに対する<刺激>となるので、<刺激>と<反応>は双方向的なやり取りとなる。

共同注意行動の例

会社組織において大人が反応を示すことの意義

ピアジェの共同注意行動は養育者と子どもの間で成立する行動であり、会社組織における大人にそのまま適用できるものではない。しかし、大人同士であっても反応が無いことの悪影響を考えるうえで共同注意行動は示唆に富んでいると私は考えている。

繰り返しになるが、ことばの発達を促すためには<刺激>と<反応>の双方向的なやりとりを繰り返すことが重要だ。反応が無いということは、刺激はあるがそれに対する反応がないという状態ということだ。これでは<刺激>と<反応>の双方向的なやり取りは成立していない。

これが子どもの場合は「ことばの発達に良くない影響がある」ということがわかっているが、大人の場合はどうなのだろう。今日、発達心理学においては大人であっても心身が発達し変化していくという考え方=生涯発達が一般的である。よって、大人同士であっても<刺激>と<反応>の双方向的なやり取りが成立しない状況が繰り返されると、何かしらの発達的な悪影響があるのではないかと、私は考えている。

具体的な場面を考えてみよう。会議で何かを提案したときに、周囲から何も反応が無かったらあなたはどう感じるだろうか。そして、そのような状況が繰り返し起き、今後も続いていくとしたらどうだろう。「何にも反応がもらえないから、提案するのはやめにしよう」といったように感じ考え、結果やる気を失い、どんどん発言量が減っていく…という結果は想像できる。これは、提案という刺激に対して、反応が返ってこないという双方向的なやり取りの不成立なのだと、私は考えている。

そして上記のような状態が常態化していくと、提案するための思考が働かなくなり、提案そのものが減っていき、サムい会議(アジェンダ通りに進行していくが、発言するのは特定の人だけで意見やディスカッションが起きない会議のことを私はそう呼んでいる)が出来上がるのだ。これは、「反応が無いなら提案はしないでいいや」という感情を育んできた結果であり、心身の変化(感情の変化や、行動の変化)を伴う大人の発達への影響と言えるのではないだろうか。

共同注意行動が大人にも適用できるのではないかという提案はあくまで私の提案でありまだ検証をしていないので、ぜひ検証を進めたいところではある。

ではどうすればいいのか

反応を示す。それもしっかりと、だ。

相手が子どもであれ、大人であれ、何か刺激があったのなら反応を示すのだ。反応は相手への贈り物だ。

テレワークが進んだ現代において、相手に反応を示すハードルは一段と高くなった。ビデオ会議ではカメラオフ、発言者は暗闇に向かって話しかけても誰も反応を示してくれないのでは、「言うのはやめよう」という思考に落ちてしまうのは時間の問題だ。

相手が言ってくれたことをまずは受け取り、ジェスチャーや頷きで即座に反応を示し、そして自分がどのように感じたのか・どのように受け取ったのかを声で反応として返す。そのような<刺激>と<反応>の双方向的なやり取りが継続的に成立することで、発言してくれた人には心身の良い変化が起きるのだと、私は考えている。