引き続き、汐見先生の「新時代の保育のキーワード」を読んでいる。
新時代の保育のキーワード: 乳幼児の学びを未来につなぐ12講
農業社会の中でこつこつ嫌がらずに働くことが大事だった時代と、さまざまなことをコンピュータが組み込まれた機械がやるAI(人工知能)時代とでは、人間が本当に幸せになるために身につけなけなくてはいけない力は、同じではない
(中略)
歴史の中に同じような問題があったときには、似た解決法をとれば正解に近づくかもしれませんが、環境問題は複雑で正解などないんです。だったら、どうしたらいいかということを考え続けるしかない。
30年くらい前までは保育もそうだったようなのだが、親や目上の人の言うことを素直に聞く「よい子」を育成しようという時期があった。軍隊式の指揮系統と意思決定、正解のわかる問題に立ち向かうには、これで十分だったのだ。
海外の優れた製品を参考にして、低価格・高品質・多機能な製品を、安定した品質で大量生産すれば、日本の製造業は儲かった。何をすればよいか、正解はわかっていた。どうやってやるかは上位者が決めた。そのようなときに必要なのは、従順で言われたやり方を正しくこなす労働者だった。
三種の神器なんて言葉の時代だ。冷蔵庫、テレビ、洗濯機。それらが憧れの時代で、人々が欲しがるものもわかっており、良いものを安く出せば売れた。車もそうだ。若者やファミリーが車を欲し、良い車を適正な価格で売り出せば売れた。
しかし今は違う。家電を始め、必要なモノは富裕層でなくても充足している。みんなが憧れる製品なんてものはほとんど無くなった。車は所有から利用に移りつつある。車も憧れではなくなった。何を作れば売れるのか、わからない時代だ。正解がわからないのだ。
正解を見つけ出そうと挑み続ける必要がある。しかし、正解がある前提の教育と、正解がある前提の会社組織の結果、すでにある正解に沿って作業指示をする上位者と、その指示に沿って従順に作業をこなす作業者しかいないのだ。正解があるときはよかった。正解に向けて全力疾走すればよかったのだ。
しかし、何が正解なのかわからなければ、何が正解なのかを探し続けなければいけない。上位者の言うことが正解でもない。明確な指示も降ってこない。自分は何を信じ、自分の有限の時間を何に使い、何を成し遂げ、何を得たいのか、上位者も作業者も「自分自身で」考えて決めていく必要に迫られている。
今の保育は、そのような「自分の人生を自分で決めて、自分で責任を持ってコントロールする」ような主体性を育もうとしている。では、既に大人になってしまった私たちは、いかにして主体性を習得すればよいか。難しい問題だ。